シャーマンの海への進軍、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
これはアメリカ南北戦争の終盤に起こったものであり、後の20世紀に起こる総力戦を予告するものであったとも言われています。
それならば、南北戦争中に起こったシャーマンの海への進軍というのは一体なんなのでしょうか。
ここではシャーマンの海への進軍について解説します。
南部の早期降伏が目的
1864年11月15日から12月20日にかけて、北部のシャーマン将軍が破壊進撃を行いました。
これをシャーマンの海への進軍と呼びます。
アメリカ南部の降伏を目的とし、南部連合の中心部分にあったジョージア州アトランタから400キロ先の港町まで進撃を行ったのです。
50キロから100キロの速度で走行し、産業施設や鉄道はもちろん、個人の資産にあたる様々な建物まで破壊しました。
全てを破壊することによって人々の物質的、そして精神的な戦争への意欲がなくなってしまい、それによって南部は降伏を迫られたのです。
このようなすべてを破壊して相手の戦意喪失を目指すというやり方は第二次世界大戦における総力戦にもつながっていきます。
戦意喪失の重要性
北部によってジョージア州のアトランタが破壊されてしまい、これは南部にとって大きな打撃となりました。
しかし、だからといってアトランタを攻撃すれば戦争が終わるというわけではありません。
シャーマンは早々に南部を降伏させるためには南軍を支援する非戦闘員の戦意喪失も重要だと考えていたのです。
だからこそ、シャーマンはアトランタを破壊した後、港町のサバナを占領し、サウスカロライナを北上してノースカロライナを通過し、バージニアのグラント将軍に合流しようと考え出しました。
グラント将軍はこの考えには乗り気ではありませんでしたが、最終的にシャーマンの提案に賛成することとなります。
風と共に去りぬの風景
海への進軍が始まると、その途中にあった家屋敷や工場、農家や鉄道、橋やプランテーションも全て破壊されました。
また、シャーマンの海への進軍がクリスマス前に港町シャーマンに到達したことにより、シャーマンは「この街をクリスマスプレゼントに」という電報を送っています。
ちなみに、有名なクラシック映画「風と共に去りぬ」はこの時の状況を中心として描かれています。
奴隷制度を用いて栄えた南部の貴族的文化は南北戦争という風に乗って去っていったということを意味しているのです。
まとめ
いかがでしょうか。
シャーマンの海への進軍の非戦闘員の戦意を喪失させるという考え方はその後の総力戦のみならず、絨毯爆撃などという戦略につながっていきます。
今でさえも非戦闘員を傷つけるのはいかがなものかという風潮がありますが、この頃から戦争終結させるために非戦闘員を意識するという考えが存在していたという事は面白いですよね。