南北戦争はアメリカの南部と北部の戦いであり、言い換えれば内戦でもあります。
しかしこの南北戦争は国際的な状況が影響して起こったものでもありますので、他の国からの影響を受けているのです。
それならばイギリスは南北戦争にどのような影響を与えたのでしょうか。ここでは南北戦争とイギリスの関連について解説します。
目次
南部と北部の対立
南北戦争は奴隷制度を容認していた南部と批判していた北部との戦いです。
南部は黒人奴隷を使った綿花のプランテーションを中心とする農業で栄えており、それに対して北部は商工業が中心になっていました。
さらに南部は連邦政府の権限を制限した上で州の自治権を拡大したいと考えており、それに対して北部は連邦政府の権限を拡大し、統一を強める勢いを高めていたのです。
そして南部は綿花の輸出を増やしたいということで自由貿易を視聴しており、北部はイギリスの工業製品と競争するための保護貿易を視聴していました。
このように同じ国ではありながら、南部と北部では全然違う考え方を持っていたのです。これが南北戦争が起こった理由の1つです。
イギリスとの経済的な関係
南北戦争が起こったとき、イギリスはそれより前に産業革命を迎え、工業的にも大きく発展していました。
そして北部はアメリカでも工業発展をさせるため、イギリスからの工業製品の輸入を制限したかったのです。
これこそが保護貿易です。
外国からの商品に関税などをかけることなく自由に輸入してしまったら自国の製品が売れなくなってしまうという可能性がありますよね。
だからこそ、外国からの商品には税金をかけ、値段を上げるのです。
今の日本においても例えば外国から来た輸入品の食材は値段が高いですよね。
それと同じなのです。
つまり、南部は自由に綿花を輸出するために自由貿易を期待し、北部は自分たちの商品を守るために保護貿易を期待しました。
イギリスの存在を意識して北部は保護貿易を求めたのです。
このようにイギリスは南北戦争に大きな影響を与えているのです。
イギリスの介入を阻止
さらに北部にとっては南北戦争にイギリスの介入を妨げる必要がありました。
そのため1863年、リンカーンは奴隷解放宣言を出し、南北戦争は奴隷制度を廃止するための正義の戦争だと主張したのです。
イギリスではすでに奴隷制度を廃止していましたから、南北戦争のポイントが奴隷制の廃止ということになれば、奴隷制の味方をしている南部を応援することができなくなります。
確かに奴隷制をすでに廃止した国が奴隷制を利用した上でプランテーション農業を続けていきたいと考えている地域を応援したら矛盾が生じますよね。
リンカーンはこのようにしてイギリスの介入を妨げたのです。
言い換えれば奴隷解放宣言というものは人道的に出されたものではなく、政治的な目的を持った上で出されたものなのです。
まとめ
いかがでしょうか。
南北戦争にはイギリスが大きく関連していたということがわかりますね。
そして奴隷解放宣言はそんなイギリスの介入を妨げるために大切なものだったのです。