冷戦がアジアにもたらした影響とは

第二次世界大戦の間、トルーマンがアメリカの大統領として就任しソ連との関係を悪化させたことにより、冷戦が始まりました。

アメリカが原爆を作り出したということもあり、核戦争が起こる危険性にさらされたのです。

それならばこの冷戦はアジアにどのような影響もたらしたのでしょうか。

ここでは冷戦がもたらした愛し合いの影響について解説します。

朝鮮と中国への影響

第二次世界大戦で日本が負けたことにより、朝鮮は植民地から解放されました。しかし北緯38度を境として北はソ連、南はアメリカに占領されてしまったのです。

1948年にはアメリカの占領下馬場韓国、ソ連の線量が話は北朝鮮となりました。

第二次世界大戦で日本が負けたことにより、朝鮮は植民地から解放されました。

しかし北緯38度を境として北はソ連、南はアメリカに占領されてしまったのです。

1948年にはアメリカの側は韓国、ソ連の側は北朝鮮となりました。

冷戦の影響により朝鮮の統一は実現されなかったのです。

そして1950年には朝鮮戦争が始まりました。

朝鮮戦争は冷戦を行っていた米ソの代理戦争とも言われており、同じ民族でありながら2つの国に分かれてしまったのです。

中華人民共和国の建国

さらに、中国の中では共産党が勝利を収め、中国は共産主義国となりました。

国民党と共産党にとっての共通の敵であった日本が第二次世界大戦で負けたため、中国国内においては国民党と共産党の戦いが悪化していたのです。

1948年に蒋介石が総統となり、激しいインフレが起こりました。

それに対して毛沢東が農民の支持を得ることとなり、1949年までにほとんどの中国を統一したのです。

同年中国人民共和国が建国され、出席が毛沢東、首相が周恩来となりました。

そして日ソ友好同盟相互援助条約が結ばれ、中国はソ連側の一員となったのです。

日本への影響

冷戦が悪化したことにより、アメリカは日本を経済的に自立させようとしました。

そしてアジアの共産主義に対抗できる勢力として育てあげようとしたのです。

1951年6月にはサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本は独立国となりました。

ここで日米安全保障条約を結んだことにより日本はアメリカ軍の駐留を許し、国内に米軍基地を作ったのです。

日米安全保障条約によって軍事的にアメリカの側に立つこととなりました。

そして1952年には台湾の中華民国と条約を結び、共産主義となった中国人民共和国とは国交がない状態が続いていくのです。

まとめ

いかがでしょうか。

米ソの対立は消してアメリカとソ連だけのものではありませんでした。

世界の大国であるアメリカとソ連が対立したことにより、その影響は確実にアジアにも及んでいったのです。

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