奴隷解放宣言とゲティスバーグ演説について

アメリカの大統領は演説が上手かどうかということが重視されますが、南北戦争が行われていた頃の大統領、リンカーンは演説がとても上手であったと言われています。

そんなリンカーンが行った1863年の奴隷解放宣言は歴史的にも非常に重要なものですし、同年のゲティスバーグ演説も歴代大統領が行ってきた演説の中でも最も有名なものの1つですね。

それならば奴隷解放宣言とゲティスバーグ演説はどのように違うのでしょうか。

ここでは奴隷解放宣言とゲティスバーグ演説がそれぞれどのようなものなのかということについて解説します。

奴隷解放宣言について

奴隷解放宣言というのは1863年1月1日にリンカーンが出したものであり、その名前の通り黒人たちの解放を宣言したものです。

具体的には、南北戦争の大義名分はアメリカの分裂を防ぐものではなく、奴隷制の廃止を求めるものであるという旨を明らかにするという背景がありました。

つまり、アメリカ南部はプランテーション農園で成り立っており、海外諸国の中にはその綿花を求め、アメリカ南部の独立を支持している国家も複数存在したのです。

しかし、南北戦争の目的が奴隷制の廃止となれば、奴隷制の存続を求めている南部を支援するという事は奴隷制を認めているということになってしまい、既に奴隷制を廃止しているイギリスなどが南部を支持すれば矛盾が生じてしまいますね。

これにより南部は支援を失い、南北戦争で敗北するのです。

ゲティスバーグ演説について

リンカーンが行った演説の中でも有名なゲティスバーグ演説は1863年11月19日、ペンシルベニア州ゲティスバーグにおいて行われた演説です。

リンカーンはこの日、国立戦没者墓地の奉献式にて短い演説を依頼されていました。そこで林間はわずか2分の間に演説を行わなければいけなかったのです。

そしてこの演説は合衆国憲法と並んで重要な位置を占める演説となりました。

最終的にその演説は272語、1449文字という短いものでしたが、人々の心にしっかりと残る演説となりました。

ゲティスバーグ演説で有名な表現

ゲティスバーグ演説はわかりやすい言葉をもちいたということで、今もその文言はあちこちで使われています。

ゲティスバーグ演説で最も有名な表現は「人民の人民による人民のための政府」というところです。

これは例えば生徒会選挙などにおいても演説で「生徒の政府による生徒のための生徒会」などという表現で使われることがありますね。

また、日本国憲法においてもこの理念が導入されています。

日本国憲法前文にある「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という表現はこのゲティスバーグ演説から来たものだとされているのです。

まとめ

いかがでしょうか。

奴隷解放宣言とゲティスバーグ演説は確かに同じ人物が行ったものではありますが、内容が違うということがわかります。

それで解放宣言は奴隷を解放するもの、ゲティスバーグ演説はその後の国家のあり方について述べたものということができるのです。