アメリカは今となっては世界第4位の面積を誇る国です。
しかしそんなアメリカは独立当初は13州しかなく、今のように大きくはなかったのです。
それならばアメリカはどのようにして領土拡大を図っていったのでしょうか。
ここではアメリカの領土拡大とその歴史について解説します。
マニフェストデスティニー
アメリカの歴史を語るために避けては通れないものがマニフェストデスティニーという考え方です。
マニフェストデスティニーというのは日本語では明白なる天命と言いますが、領土拡大は神の意思である、という考え方をさしています。
つまり領土拡大を正当化するための理由であり、同時にこの考え方の下にどのような略奪なども強化されるという考え方がありました。
もともとは13州しかなかったアメリカが、徐々に西へ西へと領土拡大を行っていたのです。
戦争による戦利品
アメリカはイギリスやメキシコと戦争行うことによって領土を拡大していきました。
例えばカリフォルニア州やアリゾナ州、ネバダ州などはメキシコから得た領土になります。
さらに戦争の後、カリフォルニア州でゴールドラッシュが始まり、さらに他の地域でも油分が見つかるなど、アメリカにとって資源となるものが発見されるようになりました。
フランスからルイジアナを購入し、さらにフィリピンとの戦争により海外にも領土を持つようになります。
その後はアラスカやハワイという都市にも領土を拡大し、アメリカの領土は今のように大きくなっていったのです。
インディアンの強制移住
白人たちが東部から西部へ領土拡大を行うためには、既にその地域に住んでいたインディアンたちを追い出す必要がありました。
これこそ、アメリカの領土拡大における悲しい歴史といえます。
もともとインディアンたちはアメリカのあちこちに住んでいたのですが、第7代合衆国大統領アンドリュージャクソンはインディアン強制移住法を出し、肥沃な土地で生活をしていたインディアンたちを居住地と呼ばれる場所に追いやっていたのです。
それによって彼らは何千キロもの距離を歩かされ、そして何千人ものインディアンが命を落としました。
これはアメリカ合衆国政府が行ったことであるということでクリントン大統領やオバマ大統領が謝罪をしたことにより、インディアンと白人たちの和解が進みつつあります。
アメリカの領土拡大の影にはこのような悲しい歴史があるのです。
そしてだからこそ、アメリカはマニフェストデスティニーという言葉を使って自分たちの領土拡大を正当化していったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
アメリカの領土拡大は決して良心的なものではありませんでした。
むしろマニフェストデスティニーという言葉を使わなければ正当化できないような残虐な歴史も多く存在するのです。