世界大恐慌と保護貿易について

1929年に世界大恐慌が起こりました。ニューヨークの証券株式取引所で株価が大暴落してしまい、経済が一気に破綻してしまったのです。

これによって保護貿易が行われてようになりました。

保護貿易とは一体なんなのでしょうか。

ここでは世界大恐慌の対策である保護貿易について解説します。

保護貿易とは何か

そもそも保護貿易とは一体なんなのでしょうか。

それは国内取引と国外取引の間に関税などを設け、貿易を行うことを指します。

ちなみに対義語は自由貿易になります。

海外のものをどんどん輸入してしまい、国内のものと同じ値段で販売してしまったら国内のものが売れなくなってしまう可能性がありますよね。

そうなれば国内産業が停滞してしまいます。

それを防ぐために外国から入り込んでくる輸入品に税金をかけ、値段を高くするという貿易を保護貿易というのです。

つまり、国家が自由貿易による弊害を防ぎ、自分たちの国内での産業を育成するための貿易政策を保護貿易と呼ぶのです。

世界大恐慌による保護貿易

アメリカで世界大恐慌が起こったとき、イギリスやフランスなど植民地を持つ国は真っ先にブロック経済を形成し、保護貿易を進めました。

アメリカが農業を保護しようとしたことに対し、工業を保護しようという動きが進んだのです。

当時はアメリカが世界最大の貿易国でしたので、アメリカが関税率を上げたことにより、世界的に貿易が縮小していくこととなりました。

アメリカが自分たちの国の商品に関税をかけたことにより、他の国も自分たちの商品に関税をかけることになったのです。

そして保護貿易はアメリカのみならずイギリスでも行われるようになりました。

そして1932年にはカナダにおいても帝国特恵政策が始まったのです。

第二次世界大戦の勃発

その一方で、保護貿易についていけなかった効果もありました。

例えばブロック経済はあくまでも植民地を持つ国家が行ったものですが、植民地を持たないドイツやイタリアなどはこのような貿易政策ができなかったのです。

特にドイツは第一次世界大戦によって国費の2.5倍と言われる賠償金を支払わなければならず、ルール工業地帯はフランスに占領されており、経済は破綻した状態でした。

1933年、アメリカではルーズベルト大統領が就任してニューディール政策を始めたと同時期にドイツではヒトラーが首相に任命されます。

ナチスは失業率を下げるために様々な公共事業を行いますが、それらは一時しのぎでしかありませんでした。

その結果、外国と戦争をして海外の領土を手に入れるか賠償金を手に入れるしか方法は無い、という状態にまで追い込まれていったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

保護貿易は世界大恐慌で受けた打撃を緩和するための大切な政策でした。

しかし政治的な対立なども起こるようになり、第二次世界大戦への道を進んでいくこととなったのです。

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