湾岸戦争というのは1990年に起こった戦争です。
2003年にイラク戦争が起こっていますが、このイラク戦争が起こった後は湾岸戦争を第一次イラク戦争、イラク戦争を第二次イラク戦争ということもあります。
この湾岸戦争においてソ連は一体何をしたのでしょうか。
ここでは湾岸戦争におけるソ連の動きについて解説します。
冷戦構造
湾岸戦争というのは1990年、つまり冷戦が終わった直後に起こった戦争です。
まず冷戦中の構造について確認をしてみましょう。
冷戦というのはアメリカとソ連の対立でした。
決して直接的な解決が起こったわけではありませんが、資本主義陣営のアメリカと社会主義陣営のソ連が対立を起こしたことにより、この争いは世界に広がっていきます。
朝鮮戦争やベトナム戦争等の代理戦争が起こり、それなりに死傷者も出ていました。
しかし1989年にベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談が開かれたことによって冷戦が終結するのです。
アメリカが世界の軍事大国に
1990年に湾岸戦争が起こったとき、まだソ連は崩壊していませんでした。
しかし冷戦が終わっていたということが重要です。
1989年の冷戦終結まではアメリカとソ連が対立していましたが、1990年には事情が変わっていました。
イラクが油田の利権を求めてクウェートに侵攻していく中、アメリカを中心とする国連の多国籍軍が立ち上がります。
そしてソ連はアメリカを支援する形で多国籍軍に加わりました。
これは実に冷戦の時とは違う動きになります。
冷戦が起こっているときにはあくまでもアメリカとソ連が足りずしていましたが、湾岸戦争においてはソ連がアメリカを支援する形になったのです。
これによってはアメリカはソ連も認める軍事大国となっていたのです。
国連との停戦協定
最終的に湾岸戦争は終結はしていませんが、イラクと国連が停戦協定を結ぶことになりました。
イラクは大量破壊兵器を放棄するということが求められ、さらにしばらくの間輸出と輸入は一切してはならないという経済制裁を受けることになったのです。
しかし、食料の3分の2を輸出で賄っているイラクはすぐに食糧難になってしまい、500,000人を超える子供が命を落としました。
病人や怪我人が出てもしっかりとした治療を受けることができず、犯罪率も上がり、イラクの治安は悪化していったのです。
後に経済制裁は緩和されていきますが、これは特にアメリカに対して敵意を向き出すきっかけとなりました。
まとめ
いかがでしょうか。
湾岸戦争の最大の特徴はソ連がアメリカの支援をしたということでした。
1990年は冷戦が既に終わっていますのでおかしなことでは無いのですが、それでもこの2つの対立軸が対立しなかったという事は世界に大きな印象を与えています。