イラク戦争の目的はサダムフセインだったということを聞いたことがあるでしょうか。
イラク戦争というのはアメリカが同時多発テロを受けた後、サダムフセインを打倒するために行った戦争でもあります。
それならばサダムフセインとはどのような人物だったのでしょうか。
ここではフセインという人物と、イラク戦争が行われた理由について解説します。
サダムフセインとは
サダムフセインというのはイラクの政治家です。
イスラム教スンナ派のアラブ人であり、イラクの大統領でした。
サダムフセインというとイラク戦争で有名ですが、実際には湾岸戦争にも関わっています。
イラクにはサダムフセインの銅像がありましたが、イラク戦争の時にこの銅像が倒された様子は世界中にも放送されましたね。
覚えている人もいるのではないでしょうか。
2003年12月13日にはフセインを拘束するための赤い夜明け作戦が行われ、サダムフセインが逮捕されました。
アメリカ軍の施設に投獄された後は他人に選択されることを嫌がり、自分で洋服を洗っていたということがよく知られています。
2004年以降は比較的健康的な生活を送っていました。
最終的には2006年12月30日、バグダードの刑務所にて絞首刑で処刑されました。
イラク戦争とは
それならばイラク戦争とは一体何だったのでしょうか。
2001年9月11日、アメリカは史上最大の航空機のテロである同時多発テロを経験しました。3000人近くの死者、そして6000人以上の負傷者を出す大規模なものであり、アメリカはアルカイダがテロの首謀者であるということを突き詰めたのです。
翌年の2002年にはアルカイダのリーダーであるオサマ・ビンラデンを捕まえるためにアフガン報復を行い、今度はテロを支援していたフセインに目をつけました。
サダムフセインはイラクの大統領でしたが、ここで簡単にイラクを攻撃するわけにはいきません。
そこでアメリカはイラクの大量破壊兵器に目をつけることにしたのです。
イラクには大量破壊兵器がある!?
1990年に湾岸戦争が起こったとき、イラクは国連と停戦協定を結び、イラク国内にある大量破壊兵器を全て放棄するという条件を飲んでいました。
しかしその後、イラクは国連の査察を拒否し続け、アメリカを始めとする先進国からイラクにはまだ大量破壊兵器が存在するのではないかと言われていたのです。
アメリカはこれに目をつけ、「イラクには大量破壊兵器が存在する」という大義名目でイラク戦争を始めました。
実際にはイラクが国連の査察を受けなかったのは周辺諸国にまるで大量破壊兵器があるかのように見せかけるためであり、イラクの国内で大量破壊兵器は見つからなかったのです。
そこでアメリカはフセイン大統領を打倒し、対テロ戦争の目的を成し遂げたということにしたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
イラク戦争はもともとの目的はフセインを打倒することでした。
しかしそれを公の理由にしてイラク戦争を始めることができなかったため、大量破壊兵器を捜索するという建前でイラク戦争を始めたのです。