同時多発テロが起こった後の国際社会の対応とは

2001年9月11日の同時多発テロは国際社会に強い動揺を与えました。

今までアメリカはその本土攻撃されたことがありません。

確かに1941年12月8日、現地時間7日には日本が真珠湾攻撃していますが、この時ハワイはアメリカの正式な州ではありませんでした。

さらにアメリカ本土でもありませんよね。

ニューヨークやペンタゴンを攻撃されたことにより、アメリカは初めて攻撃を受けたのです。

それならば、同時多発テロによって国際社会の対応はどのように変わったのでしょうか。

ここでは同時多発テロが国際社会の対応に与えた影響について解説します。

イスラム教徒への差別意識

同時多発テロが起こったことにより、イスラム教徒に対する国際社会の対応は大きく変わりました。

イスラム教徒の過激派たちが同時多発テロを起こしたということから、イスラム教徒に対して差別意識が芽生えるようになってしまったのです。

もともとイスラム教というのはよくわからない、などといった印象もあり、イスラム教の人たちが差別を受ける、偏見をもたれる、子供たちがいじめに遭う、などという被害が起こってしまいました。

グラウンドゼロでキリスト教徒がイスラム教のコーランを破った、というニュースを覚えている人も多いのではないでしょうか。

空港のセキュリティーチェック

同時多発テロは国際社会の対応に対し、セキュリティーチェックに関しても疑問を投げかけました。

実は、同時多発テロが起こる前まではアメリカの国内線に刃物を持ち込む事は可能だったのです。

今でこそそんな事はできないと思う人もいるかもしれません。

しかし、当時は爪切りやホチキスなどを持ち込むことも可能でした。

しかし同時多発テロが起こったことによってセキュリティーチェックが厳しくなり、刃物はもちろん、今は液体物さえも持ち込むためには制限が設けられるようになりましたね。

一人当たり100ミリリットル以上の液体物は機内に持ち込むことができません。

マスメディアの発達

さらに同時多発テロは世界に対し、マスメディアがいかに発達したかということを見せつけました。

同時多発テロが起こったときはアメリカの東海岸はまだ朝でしたが、そのニュースはCNNなどのメディアにより、世界中に広がりましたね。

そのため、2つ目に攻撃された世界貿易センタービルの南棟に飛行機が激突したシーンはライブで見てしまった、という人も多いのではないでしょうか。

貿易センタービルの北棟に飛行機が激突してこのビルが炎をあげている中、隣の貿易センタービルも攻撃されてしまったのです。

このニュースは世界中に広がり、どの国の人もテレビを見ることでこのニュースを知ることができました。

このように、マスメディアがいかに発達したかということを知らせる結果にもなったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

当時多発テロは国際社会の対応に様々な影響をもたらしました。

最近ではあらゆる国における入国審査も厳しくなりつつあります。