同時多発テロと言えば、多くの人の記憶にも新しいのではないでしょうか。
そして同時多発テロが起こったとき、アメリカは絶対に報復をすると感じた記憶がある人もいるかもしれませんね。
それならばイラク戦争は一体何だったのでしょうか。
ここでは同時多発テロとイラク戦争の関連性について解説します。
同時多発テロとは
同時多発テロというのは2001年9月11日に起こったテロのことです。
アメリカン航空11瓶とユナイテッド航空175便がニューヨークの世界貿易センタービルに突撃しました。
アメリカン航空77便は国防総省であるペンタゴンを攻撃し、さらにユナイテッド航空93便はホワイトハウスに向かっていたのではないかといわれていますが、乗客が抵抗したことによってペンシルベニアで通学しています。
飛行機は原型をとどめていなかったと言われており、全体で3000人前後の死者が出ました。
6000人以上の負傷者も出て、飛行機を使った史上最大規模のテロになったとも言われています。
アフガン侵攻について
イラク戦争について語る前に、アメリカによるアフガン侵攻について話をしましょう。
アメリカはすぐに同時多発テロ行ったのは一体誰だったのか、テロの首謀者はどのような人物だったのか、ということを探し出しました。
テロの首謀者はアルカイダであり、アメリカはアルカイダのリーダーであるオサマ・ビンラデンを見つけ出すためにアフガン侵攻を行ったのです。
オサマ・ビンラデンがアフガニスタンにいるからという情報を聞きつけたのことでした。
そしてアメリカは今度はテロを支援しているイラクのフセイン大統領に目をつけたのです。
対テロ戦争という名目の元、アメリカはフセイン大統領を倒さなければいけないと考えるようになりました。
イラク戦争とは
ここにイラク戦争が始まります。
しかし、アメリカはこれだけの理由でフセイン大統領を攻撃することができませんでした。
そのためイラク戦争始めるには大義名分が必要だったのです。
そこでアメリカは1990年の湾岸戦争の時、イラクが大量破壊兵器の放棄を命じられていたにもかかわらず国連の査察を拒否していた、だからもしかしたら大量破壊兵器を持っているのではないか、ということに目をつけました。
大量破壊兵器を探し出すという大義名分のもとイラク戦争が始まったのです。
最終的には大量破壊兵器は見つからず、このままではまずいと感じたアメリカはフセイン政権を倒し、イラク戦争の大義名分を立てたのです。
これがイラク戦争と同時多発テロの関連性です。
まとめ
いかがでしょうか。
確かに同時多発テロが起こったことによってイラク戦争が起こったわけですが、この2つは直接関係しているわけではありません。
確かに同時多発テロの報復としてイラク戦争が起こったわけですが、アメリカは大義名分を立てるために湾岸戦争を利用したのです。