第二次世界大戦が始まった時、アメリカは日本の本土攻撃しました。
そのため日本本土は戦場となり、空襲を受け、多くの人が逃げ惑ったのです。
防空壕や防空頭巾という言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
それならば第二次世界大戦においてアメリカは日本の本土攻撃するためにどのような戦略をとったのでしょうか。
ここでは日本本土の攻撃について解説します。
関東大震災の影響
1923年9月1日、恐ろしい地震が日本を襲いましたね。
この関東大震災が起こったという事から、9月1日は防災の日とされています。
そしてこの関東大震災は実は世界中に日本には木造建築があり、火に弱いということを知らしめる結果となりました。
この頃日本は経済的にも成長しており、日清戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦でも勝利を収め、とても調子が良かったのです。
しかしそんな時に関東大震災が起こってしまい、日本は荒れ果てた状態となってしまいました。
あれだけ発展していた国であっても、木造建築の家が多いからこそあっという間に火の海となってしまうということを世界中が学んだのです。
空襲
日本は火に弱いということを知っていたアメリカを中心とする連合国は、日本本土を空襲で襲いました。
非戦闘員が住む街を空襲で攻撃するという事は倫理に反するのではないかという考え方もありましたので、連合国は軍需工場で働く人も軍人だという建前の本、空襲を行ったのです。
そのため軍需工場がある場所が中心に攻撃されています。
特に東京大空襲は大きなものとなり、この空襲はアメリカの歴史の授業などでも教えられています。
原爆投下
1945年8月には広島と長崎に原爆が投下されました。
トルーマンは原爆を投下することに躊躇せず、科学者たちが降伏しなければ原爆投下を落とすということを明確にした方が良いのではないか、日本人の前で原爆を投下して見せたら良いのではないかなどという意見を提案しましたが、トルーマンは聞き入れなかったのです。
日本の本土攻撃する上で、原爆投下は非常に大きな意味を持ちました。
非戦闘員の多くを殺害することとなり、この攻撃方法は今でも倫理的な問題となっています。
また、アメリカは1945年9月から九州から始まる日本本土上陸作戦を始めるつもりでしたので、出来る限りその上陸作戦を避けるために日本を降伏させようと原爆を投下したのではないかといわれています。
まとめ
いかがでしょうか。
日本の本土が攻撃されている中、実はアメリカは戦場にはなっていませんでした。
そのためこの第二次世界大戦の間にアメリカの経済は向上し、さらなる大国となっていくのです。