第二次世界大戦におけるアメリカのノルマンディー上陸について

第二次世界大戦中の1944年6月6日、連合国によってドイツが占領している北西ヨーロッパに侵攻するという作戦が進められました。

正式名称はネプチューン作戦であり、ノルマンディー上陸からパリ解放までの全体の正式名称はオーバーロード作戦です。

一般的にはノルマンディー上陸として知られていますよね。

ここでは第二次世界大戦中のアメリカのノルマンディー上陸について解説します。

歴史上最大規模の上陸作戦

2,000,000人近い兵隊たちがドーバー海峡を渡り、フランスのノルマンディー海岸に上陸したことをノルマンディー上陸といいます。

夜、落下傘部隊が落とされ、今度は上陸する予定に対して空襲と艦砲射撃を行い、敵前上陸が行われたのです。

ドイツが必死に抵抗したため、ノルマンディー上陸が完成するまで2ヶ月近くかかったとされています。

これはヨーロッパ戦線のターニングポイントとなり、第二次世界大戦中の戦いや上陸の中でも最もよく知られたものになっています。

そしてノルマンディー上陸はDデイと呼ばれ、一般的に作戦開始の1944年6月6日を指します。

第二次世界大戦を終結に導いた

アメリカのアイゼンハワーが指揮したこのノルマンディー上陸作戦は1週間で500,000人の兵士がノルマンディーにやってくる作戦となりました。

ドイツは300,000人の兵力で迎え撃とうとしましたが、連合国による空爆と艦砲射撃により、全く太刀打ちできるものではなかったのです。

その一方でやむなく撤退しながらもアメリカ軍に大きな損害を与え、もともと半年で降伏すると思われていたにもかかわらず、ドイツは1年間持ちこたえることとなったのです。

1944年12月にはドイツがアルデンヌ地方に結集し、ベルギーのアントワープに押し返そうとするバジル作戦が行われましたが食い止められてしまい、途中でこの作戦は終わりました。

パリ解放

8月25日、アメリカ軍とイギリス軍がパリを解放したことによりノルマンディー上陸作戦はかろうじて成功となりました。

ドイツ国内ではクリスマスの時期、「実用性を考えるとプレゼントは棺桶が1番」と言われる状態にまで追い込まれていたとされています。

1945年になるとイタリア戦線が進み、フランス全土が解放されることとなりました。

そしてドイツは1945年5月の頭に降伏し、第二次世界大戦が終わりに近づきます。

この後は日本がアメリカによって原爆を投下され、ソ連が第二次世界大戦に加わったことにより太平洋戦争が終結し、9月2日には講和条約が結ばれました。

まとめ

いかがでしょうか。

ノルマンディー上陸作戦と言えば歴史の中でも重要な戦いですよね。

とは言え大きな犠牲を出したために心理的にはいかがなものだったのかという疑問も出されています。