第二次世界大戦が始まった時、アメリカはどのような政策をとっていたのでしょうか。
第二次世界大戦と言えば、日本はアメリカと大きな関わりがありましたね。
まるで日本とアメリカが戦ったかのような太平洋戦争というものも存在します。
それならばアメリカはどのような政策をとっていたのでしょうか。
ここでは第二次世界大戦におけるアメリカの政策について紹介します。
孤立主義の立場を守る
アメリカは1776年7月14日に独立して以来、孤立主義という立場をとってきました。
もともとアメリカは13州が独立した小さな国でしたから、他の国の外交や政治には関わらないという立場を維持していたのです。
だからこそ、アメリカはアメリカ独立戦争の時にフランスから金銭的な援助をしてもらっていたにもかかわらず、フランス革命が起こっていた時に援助する事はありませんでした。
第一次世界大戦の時も出来る限り関わらないようにとしていましたが、アメリカが攻撃されたことによって大戦に参戦します。
第二次世界大戦も同様で、アメリカは基本的には関わらないつもりでいたのです。
しかし、1941年12月8日、現地時間7日に日本がハワイの真珠湾を攻撃したことにより、アメリカは日本に対して宣戦布告を行ったのです。
日本は火災に弱い
第二次世界大戦が始まる前、日本では関東大震災というものが起こっていました。
この時日本は経済的にも絶好調であり、世界からは脅威を持たれていた国家といえます。
そんな国家ですが、震災が起こったことによって火災に巻き込まれ、多くの被害を受けましたよね。
この関東大震災により、海外は「日本はとても強い国だけれど、木造建築が多いために火災に弱い」と言った印象を与えてしまったのです。
そのことを覚えていたアメリカは政策として、日本に対する空襲を激しくしていきました。
もともと木造建築が多い日本は空襲に立ち向かうことができなかったのです。
マンハッタン計画
もう一つアメリカが日本に対して行っていた政策にはマンハッタン計画というものがありました。
マンハッタンといってもアメリカのニューヨークではありません。
これこそ、あの広島と長崎に投下された原爆が開発されたプロジェクトのことを指します。
もともと1941年の時点でドイツが核兵器の開発を始めていました。
それを見た科学者たちがアメリカに亡命し、アメリカに対してドイツよりも先に核兵器を作るようにと求めたのです。
有名な科学者にはアインシュタインがいます。
この嘆願を聞いてフランクリンルーズベルトは核兵器の開発を始めました。
この時にはドイツに向けて核兵器の開発を始めたと言われていますが、ドイツが降伏する前からこの核兵器を使う相手は日本だったということがわかっています。
このような核兵器もアメリカにとっては重要な政策の1つです。
まとめ
いかがでしょうか。
アメリカは第二次世界大戦において様々な政策を行ってきました。
しかしアメリカが第二次世界大戦に加わったのはあくまでも日本が真珠湾を攻撃した後、ということを覚えておきましょう。