第二次世界大戦におけるアメリカとソ連の関係とは

冷戦の時、アメリカとソ連が戦っていたという事からどうしても第二次世界大戦中のアメリカとソ連も仲が悪かったのではないかと考える人も多いかもしれません。

もちろん冷戦というのはアメリカとソ連が中心になっていましたから、その対立はかなり大きなものでした。

それならば第二次世界大戦中のアメリカとソ連はどんなような関係だったのでしょうか。

ここでは第二次世界大戦中のこの2つの国家について解説します。

仲はそこまで悪くなかった

第二次世界大戦中、実はこの2つの国家はそこまで仲が悪いというわけではありませんでした。

冷戦が起こってしまったのは1945年、ルーズベルトが死去してトルーマンがその後を引き継いだことにより、状況が変わってしまっていたからです。

ルーズベルトはそれに対してはかなり譲歩した外交政策を行っていました。

トルーマンはそれを嫌がっていたのです。

アメリカが1941年3月に武器貸与法を制定した時はアメリカ国内においてソ連を支援するべきではないという勢いがありました。

しかしルーズベルトはソ連はドイツの敵であるということから、敵の敵は味方だと判断してソ連に武器を貸し出すことを決めたのです。

核兵器でのソ連とアメリカ

ドイツが原爆を開発しようとしているというニュースは、アインシュタインらを通じてアメリカに伝わりました。

そこでアメリカは秘密裏にマンハッタン計画を開始したのです。

原爆の開発を進め、1945年にアメリカは最初の原爆を成功させました。

しかしこの時アメリカはそれに対して原爆成功のニュースを伝えなかったのです。

アメリカは原爆が成功するまで出来る限りポツダム会談の日時を伸ばしました。

トルーマンが原爆に成功したというニュースを聞き、そしてポツダム会談が始まったのです。

この時、トルーマンはスターリンに対し、特別な武器が仕上がったということだけ伝えていました。

しかしスターリンはアメリカに送り込んでいたスパイの働きにより、アメリカの原爆について既に知っていたのです。

原爆を投下した理由

1945年8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下されました。

なぜ原爆が投下されたのかということに関しては様々な説がありますが、その1つはアメリカがソ連の介入を防ぎたかったから、というものがあります。

もともとソ連は8月の頭に戦争に加わるつもりでしたが、アメリカは自分たちの力で戦争を終わらせたいと思っていました。

ソ連が介入して日本が降伏してしまえば、ソ連の力が発揮されたということになってしまいます。

そのためアメリカはソ連が介入するために戦争を終わらせようとして原爆を投下したのではないかと考えられています。

まとめ

いかがでしょうか。

アメリカとソ連の間には複雑な関係がありますが、その関係が悪化したのはあくまでもトルーマンが大統領に就任してからといえます。

ルーズベルトが大統領だったときには今のような関係ではなかったのです。