実は奴隷解放宣言が合衆国憲法に影響を与えているということを知っているでしょうか。
合衆国憲法自体はアメリカが独立した1776年の後に制定され、今現在機能している憲法の中でも最も古い成文憲法だとされています。
この憲法自体は1度も修正されたことがありませんが、修正条項という形で変化を遂げています。
ここでは奴隷解放宣言が合衆国憲法に与えた影響について解説します。
奴隷解放宣言の背景
奴隷解放宣言を出した大統領は第16代大統領リンカーンです。
もともとリンカーンは奴隷制に反対の立場をとっていましたが、どちらかというと必要があれば奴隷も止む無しという考え方の持ち主でした。
しかし、南北戦争が起こったときには南部が優勢な状態で北部が負けそうだったのです。
南部は綿花プランテーションで経済を成り立たせており、その綿花を狙っている海外諸国が南部の味方をしていました。
そこでリンカーンは南北戦争の大義名分はアメリカの分裂を防ぐことではなく、奴隷制の廃止を求めるものだということを明確にし、そのために奴隷解放宣言を出したのです。
つまり、アメリカの南部を応援するという事は奴隷制の存続を求めることだということを明確にしたため、すでに奴隷制を廃止していたヨーロッパ諸国はアメリカ南部の味方ができなくなりました。
これによって北部は勢力を盛り返していたのです。
奴隷解放宣言が出された背景にはこのような政治的な意図があります。
合衆国憲法の修正条項
奴隷解放宣言を出した後、デラウェアとケンタッキーだけは奴隷制を合法化している状態でした。
そして林間は憲法修正第13条を加え、ここに奴隷制を廃止する旨を明確にしたのです。
さらに憲法修正第14条には解放した黒人に市民権を与えるということ、そして第15条には選挙権には人種による差別をつけないということを明記したのです。
この3つの修正事項がアメリカ合衆国憲法に加わり、その後のアメリカの歴史にも大きな影響を与えました。
その後も続く黒人への差別
その一方で、黒人への差別はまだまだ続いていたといえます。
奴隷解放宣言が出された1863年のちょうど100年後、1963年にはキング牧師による「私には夢がある」という演説が行われました。
キング牧師も多くの黒人たちに希望を与えた人物として知られていますよね。
ワシントンにあるリンカーンモニュメントの前で行った「私には夢がある」という演説は非常に有名であり、モニュメントにもこの言葉が刻まれています。
この頃まではまだ黒人と白人が区別されており、例えば黒人の子供たちは白人と同じ学校に行くことができませんでした。
しかしこの時代を経て学校が統一されるようになり、ようやく黒人と白人が一緒に生活できるようになってきたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
奴隷解放宣言が出されたらアメリカ中の奴隷が一気に解放されたようにも感じますし、それが合衆国憲法の修正事項として付け加えられたら一気に黒人たちも権利を盛り返したのではないかと感じますよね。しかしそういうわけではありません。
黒人たちは長い歴史を経て、自分たちの権利を獲得していくのです。