同時多発テロとアルカイダの関係

同時多発テロというのは2001年9月11日にアメリカが経験したテロです。

3000人近くの死者、6000人以上の負傷者が出ました。

航空機を使った史上最大のテロとも言われています。

それならばこの同時多発テロとアルカイダはどのような関係があるのでしょうか。

ここでは同時多発テロとアルカイダについて解説します。

同時多発テロを計画した

2001年9月11日の同時多発テロは世界を震撼させるテロとなりました。

メディアの発達もあり、その状況は世界に同時中継されています。

最初にアメリカン航空11便が世界貿易センターに突撃し、そのニュースは世界を駆け巡りました。

次にユナイテッド航空175便が世界貿易センターに突撃しますが、その様子を生中継で見たという人もいるのではないでしょうか。

このテロを受け、ブッシュ大統領は対テロ戦争を宣言します。

そしてこの同時多発テロを計画した首謀者達を探し始めたのです。

アルカイダが首謀者だった

アルカイダというのが同時多発テロを計画した組織であるということがわかりました。

そしてアルカイダのリーダーがオサマ・ビンラデンだったのです。

その時オサマ・ビンラデンはアフガニスタンにいると考えられていましたので、2002年、アメリカはアフガン報復を行いました。

ちなみにアメリカ国内ではオサマ・ビンラディンを探すというRPGゲームなどが流行ったとも言われています。

アルカイダが同時多発テロを計画したといっても、テロを実行した19人のテロリストたちは飛行機の乗客とともに命を落としていますので、今更逮捕することなどはできません。

そこでアメリカはアルカイダのリーダーであるオサマ・ビンラデンを捕まえることにしたのです。

それに続くイラク戦争

それにとどまらず、アメリカは対テロ戦争の一環としてを支援しているイラクの大統領、サダムフセインに目をつけました。

そしてイラクを攻撃しようとしたのです。

しかしそれだけの理由でイラクを攻撃する事はさすがのアメリカでも許されることではありません。

そこでアメリカは戦争の結果、イラクが国連との協定である大量破壊兵器を放棄するという条項を守っていないということに目をつけ、イラクを攻撃することにしたのです。

しかし最終的にはイラクにて大量破壊兵器は一切見つからず、それはアメリカの間違いであったということがわかりました。

しかしアメリカはフセインを打倒し、アメリカのメンツを守ったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

アルカイダというのはあくまでも同時多発テロを考え出したテロリストたちであり、オサマ・ビンラディンがその首謀者でした。

そしてアメリカはテロリストたちに報復することにしたのです。

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