アメリカ独立戦争における大陸会議の役割とは

アメリカが独立戦争を起こしたとき、大陸会議というものがアメリカ独立戦争の行く先を決めていました。

その大陸会議はイギリスの高圧的な植民地支配に対して13の植民地が自治意識を高め、各植民地代表を集めて開催した会議になります。

大陸会議は2回開かれていますが、その大陸会議はアメリカ独立戦争にどのような影響を与えたのでしょうか。

ここではアメリカ独立戦争における大陸会議の役割について解説します。

第一次大陸会議

13の植民地から12の議会によって示された56人の代表者が集まり、1774年には第一次大陸会議が開かれました。

ただし13の植民地のうち、ジョージアだけは代表を送らなかったとされています。

ジョージアはその時最新で最初の植民地であり、インディアンとの構想を収めるためにイギリスに通っていたのです。

この大陸会議は10月20日、連帯決議を作成しました。

さらにイギリスの商品をボイコットするということが決まったのです。

イギリスからの製品をボイコットすることにより、イギリスの輸入額は前年の3%にまで減少しました。

また、第二次大陸会議の日程を決めたということもこの第一次大陸会議の成果と言えるでしょう。

第二次大陸会議

第二次大陸会議は1775年5月10日から1781年3月1日まで開催されました。

この大日大陸会議が始まる前にアメリカ独立戦争は始まっていましたが、会議を開くことによって軍事的な作戦を練ることができたのです。

もともと最初の数ヶ月は協調性がなく、話し合いが進む事はありませんでした。

しかし6月14日にはジョージワシントンを総司令官に任命し、大義の宣言を行ったのです。

そしてこの大日大陸会議により、アメリカの植民地はイギリスからの独立を宣言することになりました。

同時に独立宣言の基礎を検討し、今にも残るアメリカ独立宣言の作成が始まったのです。

アメリカ独立宣言について

1776年7月4日、大陸会議によってアメリカ独立宣言が採択されました。

先立つ6月7日、バージニアの植民地代表が大陸会議に独立の決議を提案したことにより、独立宣言起草委員会が発足したのです。

この委員会というものはトーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリン、ロジャー・シャーマン、ロバート・リビングストンによって構成され、ジェファーソンが宣言の文章を起草し、フランクリンとアダムズが若干の修正を加えて推敲がなされました。

7月2日には独立の決議が可決され、その2日後にはアメリカの独立宣言が採択されたのです。

この原文は今もワシントンDCにある公文書館にて保存されています。

まとめ

いかがでしょうか。

大陸会議はアメリカがイギリスから独立するための計画を立てる大切な会議でした。

最初こそ協調性がなくなかなか計画が進みませんでしたが、この会議があってこそ今のアメリカが存在するのです。