米西戦争中のメイン号事件とは

米西戦争と言えば1898年にアメリカがスペインと戦った戦争であり、西へ西へと領土を広げていたアメリカがカリフォルニアまで到達し、次は海外に領土を広げていこうとしていたときの戦争です。

結果的にキューバやプエルトリコなどを手に入れた戦争でもあるため、歴史的にも重要な出来事ですよね。

そんな米西戦争ではメイン号事件というものが起こりました。

それならばメイン号事件とは一体なんなのでしょうか。

ここではそのメイン号事件について解説します。

米西戦争のきっかけとなった

もともとマッキンリー大統領は米西戦争に賛成していませんでした。

海外への領土を求め、アメリカ国内においては米西戦争を意識した世論が高まっていましたが、マッキンリー大統領は戦争には興味を示していなかったのです。

しかし1898年2月、キューバのハバナに停泊していたアメリカの軍艦メイン号が爆沈したことにより、250名の乗務員が死亡することとなったのです。

実はこの爆沈の原因は明らかにはなっていません。

しかしアメリカ国内ではスペインの謀略だという考え方が強く、これによって「メイン号を忘れるな、スペインをやっつけろ!」という声があちこちでささやかれるようになりました。

これによってマッキンリー大統領も開戦を決意することとなったのです。

メイン号事件の理由

それならばいったいなぜこの軍艦は爆沈したのでしょうか。実はこの原因は今に至っても明らかとされていません。

弾薬庫の爆発が沈没の原因になったという事はまず確定されてはいるのですが、なぜ爆発したのかということが明らかにはなっていないのです。

有力な説としては機雷による爆発、石炭が自然発火したことによる爆発、そしてアメリカが自作自演をしたのではないかという考え方も存在しています。

特にアメリカにとっては米西戦争が始まるきっかけともなった出来事ですから何度も調査が行われましたが、未だに明らかにされていません。

スペイン政府は自然発火したのではないかと考えていましたが、アメリカはこの可能性は極めて薄いと考えていました。

メイン号はどうなったのか

その後、メイン号は1910年8月5日に議会によって引き上げが認められ、1912年2月2日に陸軍工兵隊によって引き上げられました。

そして同年3月16日に栄養式が行われ、その後はメキシコ湾に沈められたのです。

犠牲者の記念碑はアーリントン国立墓地に設置されています。

アーリントン国立墓地はワシントンからポトマック川を渡ってすぐにあるバージニア州に位置された国立墓地であり、戦没者慰霊施設としても知られています。

ここには軍人も眠っていますし、例えばケネディ大統領など、政治家も眠っています。

まとめ

いかがでしょうか。

この事件は米西戦争のきっかけとなりましたから、非常に大きな事件となっています。

そして米西戦争自体もアメリカの歴史においては重要な出来事となり、アメリカの勢力を世界に広げていくきっかけとなったのです。

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