南北戦争というのは奴隷制をめぐって起こった戦争ではありません。
アメリカ南部と北部が対立し、アメリカ南部がアメリカ連合国として合衆国から独立しようとしたことにより、北部それを防ごうとして起こった戦争です。
そのためアメリカ南部では今でも南北戦争のことをアメリカ連合国独立戦争と呼ぶことがあります。
それならば南北戦争の争点とは一体何だったのでしょうか。
ここでは南北戦争の争点であった貿易における輸入や輸出について解説します。
アメリカ北部の経済
アメリカの北部と南部は経済的に全然違った構造を持っていました。
アメリカの北部は商工業によってその経済が成り立っており、奴隷制は必要なかったのです。
そして彼らは最近イギリスが産業革命を経験し、質の良い製品を作るようになっているということを意識していました。
そのイギリスから大量に良い製品が輸出されたらたまりません。
そのためアメリカの北部は保護貿易を期待していたのです。
例えば海外からの商品は関税がかかることにより値段が上がりますよね。
これこそ保護貿易であり、このように関税をかけることによって自国の製品を守ることができるのです。
外国の商品と自国の製品が同じ値段で売られていたら自国の製品が売れなくなってしまうかもしれません。
そのため自分たちの経済を守るためにも保護貿易は重要になってくるのです。
アメリカ南部の経済
これに対し、アメリカの南部は綿花栽培で成り立っていました。
例えば映画風と共に去りぬでは主人公のスカーレットが非常に裕福な生活をしていますよね。
これは奴隷たちを使用することにより、綿花プランテーションで生活を成り立たせていたからです。
プランテーションを維持するためには奴隷が必要でした。
また、自分たちが作り上げた綿花を海外に輸出しやすくするため、彼らは自由貿易を求めていたのです。
輸出するということを考えるのであれば自由貿易の方が儲かります。
輸入するということを考えた場合、保護貿易のほうが都合が良いのです。
奴隷解放宣言について
このように、南北戦争というのは本来はアメリカの分裂を防ぐために起こった戦争を指しているのです。
しかし、どうしても南北戦争と言えば奴隷解放宣言が出された戦争だと感じる人もいるのではないでしょうか。
これはリンカーンの政治的な政策によります。
もともとアメリカの南部が勝利を収めており、南北戦争では北部が負けそうな状態でした。
そこでリンカーンが奴隷解放宣言を出し、南北戦争の大義名分はアメリカの分裂を防ぐことではなく、奴隷を解放するためのものだということにしたのです。
これにより、すでに奴隷を解放していたヨーロッパ諸国等は人道的な問題でアメリカの南部を支援できなくなります。
これによって確かに南北戦争では北部が勝利することになるのです。
まとめ
いかがでしょうか。
南北戦争はもともとはアメリカの分裂を防ぐためのものでしたが、徐々に奴隷制のあり方を求める戦争と変わっていきました。
最終的には北部が勝利を収めたため、アメリカの分裂を防ぐことができ、そして奴隷制の廃止が決まったのです。