冷戦が安全保障体制に与えた影響について

冷戦は安全保障体制にどのような影響与えたのでしょうか。

冷戦というのは1945年から1989年にかけて行われた資本主義と社会主義の対立ですが、この冷戦は日本の安全保障体制に大きな影響を与えています。

それならば日本はどのような影響を受けたのでしょうか。

ここでは冷戦時の安全保障体制について解説します。

日本の独立回復

冷戦が激化したことにより、アメリカは日本を独立回復させることにしました。

ベトナムや朝鮮が2つに分かれ、社会主義の国が増えていく中、アメリカは日本を経済的に自立させてアジアに対抗する勢力にしようとしたのです。

そのため、日本とアメリカはサンフランシスコ平和条約と安全保障条約を結びました。

これによって日本は公式に独立したこととなり、アメリカは日本に駐留するという形で関わることが決まったのです。

同時にアメリカは今の自衛隊のもとである警察予備隊を作り、日本を共産主義から守るという対策を始めました。

これが安全保障体制です。

冷戦終結による安全保障体制の変化

冷戦が終わると、この安全保障体制は必要なくなりました。

それにより日本とアメリカは日米安全共同宣言を出し、アメリカは日本の周辺事態に備えるという体制に変化を遂げたのです。

つまり、日本国内のみならず日本の周辺地域で起こる、平和や安全に危険を及ぼすものに関して、日本を後方支援するということが決まりました。

これは周辺事態法で定義されたものであり、平和や安全に危険を及ぼすものというのはそのまま放っておけば武力行使に発展しかねないものを指しています。

武力紛争が起こった場合、武力紛争の発生が差し迫っている場合などに米軍が日本に力を貸すこととなりました。

自衛隊の発足

先ほども述べた通り、冷戦が始まり、世界が資本主義国と社会主義国に分かれて争ったことにより、日本には米軍基地が設置されることになりました。

日本は憲法9条によって戦力を持たないことが決まっていましたが、この時アメリカ主導のもと、警察予備隊というものが編成されたのです。

その警察予備隊は保安隊と名前を変え、今の自衛隊に至っています。

日本が独立をした後も自衛隊はあくまでも自分の国を守るためのものとして存在しておりために軍隊とは別物です。

そのため日本は独立を回復した後もまだ直アメリカの安全保障体制に守られた状態にあると言えるのです。

まとめ

いかがでしょうか。

冷戦は世界の安全保障体制に大きな影響与えました。

集団安全保障は時代によって形を変えており、これからも変化していくと考えられているのです。

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