第二次世界大戦が終わると、今度はアメリカとソ連の間で冷戦が起こりました。
しかしアメリカとソ連といっても、実は冷戦は世界中に影響を与えていきます。
それならばそのような冷戦はアフリカにどのような影響を与えたのでしょうか。
ここでは冷戦のアフリカへの影響について解説します。
植民地の人たちは自分で立ち上がれ!
1953年にスターリンが死亡しますが、それまでソ連はアフリカに対し、あまり行動起こす事はありませんでした。
もともとソ連は第二次世界大戦の後、自分の国を立て直すことで一生懸命だったのです。
また、スターリンは「植民地の人間は自分たちの手で解放を勝ち取るために立ち上がり、戦わなければならない」と考えていました。
そのためアフリカに対し何かしようという事はなかったのです。
しかし1960年代に入り、アフリカは次々と独立していくようになりました。1960年生アフリカの都市と言いますが、シャルルドゴール大統領によって独立が認められたフランスを初め、アフリカで17カ国が独立を達成したのです。
社会主義への影響
1978年、エチオピアとソマリアの間で戦争が起こりました。
しかしもともと1970余年にエチオピアが社会主義を宣言していたため、ソ連とキューバがエチオピアを応援し、アメリカがソマリアを応援している状態だったのです。
これも冷戦による影響と言えるでしょう。アンゴラは1975年に独立し、内戦が起こっていました。
ここにキューバが介入し、間接的にソ連やアメリカが援助を行うことによって内戦は泥沼となっていきます。
そんなソ連は1970年代には世界的に力をつけるようになりました。
エチオピア以外にベトナムやラオス、カンボジアにも共産主義政府と関係を築いていったのです。
第三世界への影響
1980年に入り、ソ連の影響は第三世界にも及ぶようになりました。
もともと第三世界というのは発展途上国を指していう言葉です。
冷戦の際、東西のどちらにも属さなかった国々はフランス革命の時の第3身分になぞらえ、第三世界と呼ぶようになりました。
主にアジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国を表すことがあり、ヨーロッパにおいてはユーゴスラビアが第三世界と言われたこともあります。
第一世界は主に資本主義陣営としての西側諸国、第二世界は共産主義陣営としての東側諸国を指します。
まとめ
いかがでしょうか。
冷戦はアフリカに対して直接影響を与えたわけではありませんが、少なからずアフリカに影響が与えられていると考えられます。
特にアフリカでは多くの国が独立しようとしている頃でしたので、その脱植民地化は非常に複雑になっていくのです。