湾岸戦争というのはイラクがクウェート侵攻したことがきっかけで始まりましたが、それだけで湾岸戦争が始まったわけではありません。
多国籍軍である国連軍が派遣されたことにより、湾岸戦争が始まりました。
それならば多国籍軍である国連軍は一体何をしたのでしょうか。
ここでは湾岸戦争中の国連軍の役割について解説します。
国連軍と多国籍軍の違い
まず、厳密にいうと国連軍と多国籍軍というのは意味が違います。
国連憲章第7章によれば、国際平和を破壊したり侵略行為があった場合、紛争を抑止し、平和を回復するために必要な武力行使を行う軍隊が国連軍です。
国連に加盟している国の軍隊が集まっているというわけです。
しかし、実は今までに国連軍が編成された事は1度もありません。
それに変わり、今まで編成されてきたのは安全保障理事会により武力講師の権限を与えられた多国籍軍です。
例えば朝鮮戦争の時にはアメリカが中心となった多国籍軍が派遣されています。
そしてこの湾岸戦争においても多国籍軍が活躍しているのです。
多国籍軍の役割
多国籍軍は砂漠の嵐作戦という爆撃を開始しました。
ちなみにこの湾岸戦争においては宣戦布告は行われていません。
もともとクウェートの側に軍隊を集めていた医学はその攻撃を防ぐことができず、慌ててイラクの中に防衛を固めなければいけなくなりました。
アメリカの海軍や空軍が活躍し、その攻撃の10日後には、戦争は多国籍軍側にとって有利であるということがわかったのです。
アメリカ軍は早々にイラク軍の防空システムを破壊し、イラクの空での戦いを不可能とました。
そのため多くの航空機がイラクの周りの国へと逃げていくことになったのです。
イギリス空軍が出した飛行機は多国籍軍の攻撃の中でも最も多くの犠牲者を出すことになりました。
イラクへの経済制裁
最終的に多国籍軍はイラクに対し、輸出入を一切禁止するという経済制裁を行いました。
しかし、当時のイラクは食糧の3分の2が輸入によって賄われており、この経済制裁によって多くの人が食糧不足に陥ったのです。
さらに病気が流行り、しかし病気になってもきちんと診てもらうことができず、500,000人の子供が命を落としたと言われています。
それではさすがに困りますので、1995年、多国籍軍は14億ドル以下であれば石油を売っても構わないという経済制裁の緩和を行いました。
しかしそれで得たお金が人々の支援に回らなかったら大変ですので、国連の銀行を介入させることにより、確かに人道支援が行われるようにしたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
国連軍と多国籍軍という言葉は一般的には似たような意味で使われることが多いです。
しかし国連軍というものは未だに先生されたことがありませんので、厳密には多国籍軍と言ったほうが良いでしょう。
そして多国籍軍はイラク戦争においてイラクに勝利をしたのです。