湾岸戦争はイラクがクウェートに侵攻したことがきっかけとなりました。
それならばクウェート侵攻は一体なぜ起こったのでしょうか。
湾岸戦争はイラクのクウェート侵攻に対して国連軍が派遣されたことにより始まっています。
ここでは湾岸戦争におけるクウェート侵攻について解説します。
イランイラク戦争の後遺症
湾岸戦争の話をする前にイランイラク戦争の話をしましょう。
もともとイランイラク戦争においてはアメリカはイラクの味方をしていました。
イスラム過激派が拡大することを恐れ、アメリカはフセイン政権の支援をすることにしたのです。
そしてイランイラク戦争が長期化することにより、イラクは経済的に低迷していきました。
アメリカからは借金をしている状態でしたから食料などを輸出してもらうこともできなかったのです。
そこでイラクは経済の9割を成り立たせている石油に目をつけました。
しかし今度は隣の国であるクウェートがOPECの規定を破り、石油を大量に安く売り始めたのです。
これによりイラクの経済はさらに悪化しました。
イラクによるクウェート侵攻
もともとクウェートはイラクとの国境線上にある油田を開発しており、イラクはクウェートこそイラクの油分を奪っているのではないかと考えたのです。
そこからクウェートに侵攻し、油分の利権を奪おうと考えました。
これによってイラクによるクウェート侵攻が起こるのです。
この時点ではイラクはアメリカなどの多国籍軍が関わるとは思っていませんでした。
しかしそこに国連がアメリカを中心とする多国籍軍を送り込んだことにより、湾岸戦争が始まったのです。
アメリカの介入
イラクが行ったクウェート侵攻にアメリカが介入した理由としては、パレスチナ問題に介入する予定があったからという理由が考えられます。
この頃、パレスチナはイスラエルによって占領されていました。
しかしこのイスラエルに何も言わないのにクウェートを侵攻したイラクを攻撃するというのはおかしな話ですよね。
しかしイランイラク戦争の時にイラクを支援していたアメリカは、何の理由もなしにイラクを攻撃するわけにはいかなかったのです。
アメリカはイラクを攻撃する口実を湾岸戦争から得たのではないかと考えられています。
まとめ
いかがでしょうか。
これがイラク戦争におけるクウェート侵攻であり、アメリカがイラクに介入した理由になります。
しかしアメリカとイラクの対立は解決することがなく、これが2001年9月11日の同時多発テロへとつながっていくのです。