アメリカ独立戦争の頃と言えば、ただアメリカ独立宣言を出しただけだろうと思っている人もいるかもしれませんね。
しかし、アメリカ独立戦争というのは実はだいぶ長く続いた戦いであり、たった13州の植民地が強大な軍事力を持つイギリスから独立しようとした大きな戦争になります。
それならばアメリカ独立戦争の頃は一体どのようなものなのでしょうか。
ここではアメリカ独立戦争の簡単な経緯を紹介します。
植民地課税問題
まず13の植民地がなぜイギリスから独立しようとしたのかという経緯について簡単に紹介しましょう。
これはイギリス本国からの課税の強化にありました。
もともとイギリスは1754年から1764年にかけて起こったフレンチインディアン戦争によって財政的な危機に陥ってしまったのです。
そのため、1764年には砂糖法、1765年には印紙法という法律を作り、アメリカから税金を取ろうとし始めました。
これに対して13の植民地が反対運動を起こしたのです。
1773年には茶法が出来上がり、それに対して怒りを覚えた植民地の商人たちはボストンに留まっていた船からお茶を海に放棄したというボストン茶会事件が起こりました。
このようにして13の植民地は独立への意識を高めるようになるのです。
北部でのアメリカ独立戦争
特にボストンで反抗的な活動が続いたため、1774年にはイギリスがマサチューセッツ統治法を制定し、マサチューセッツから自治権を取り上げたのです。
これによって人々はイギリスからの独立を決めました。
コンコードの戦いやレキシントンの戦いにより、アメリカ独立戦争が始まったのです。
1775年にはジョージワシントンがボストン郊外に到着し植民地軍の指揮官となりました。
ワシントンは植民地国は弾薬が大幅に不足しているということに気づき、他の国から物資を調達しようと考えたのです。
1776年末まで植民地軍は他の国からの物資供給に頼らなければいけませんでした。
90%は輸入されたものであると考えられており、その総額は2,000,000ポンドになると言われています。
そしてその大半はフランスから来たものだったのです。
国際戦の経緯
国家というのは「自分たちは独立します」と述べるだけで独立できるものではありません。
その存在を他の国々に認めてもらわなければいけないのです。
そのため、1778年から1783年までは国際的な戦争が起こりました。
フランスはアメリカ合衆国と1778年の時点で同盟条約を結び、スペインがフランスの同盟国として参戦するなど、ヨーロッパでイギリスに対して反感を覚えていた国々がアメリカの見方をするようになりました。
それによってアメリカは独立への道を歩み、1783年にはパリ条約が結ばれたことによってアメリカ独立戦争は終結したのです。
これこそアメリカ独立戦争の簡単な経緯となります。
まとめ
いかがでしょうか。
アメリカ独立戦争と言えば独立宣言を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、簡単に言えばそれだけがアメリカ独立戦争というわけでは無いのです。
13の植民地がイギリスに歯向かい、そこから独立を決めた、世界的にも大きな戦争なのです。