米戦戦争でルーズベルトが果たした役割とは

ルーズベルトと言えば歴代大統領の中に2人いますよね。

第26代合衆国大統領のセオドア・ルーズベルトと第32代大統領フランクリン・ルーズベルトです。

ここでは米西戦争と大統領になる前のセオドア・ルーズベルトについて解説します。

米西戦争への従軍

もともとルーズベルトは海軍省で働いていました。

1897年、米西戦争が始まる前の年にはウィリアムマッキンリー大統領によって海軍次官に任命されることだったのです。

しかし、米西戦争に従軍するため、ルーズベルトは海軍省を辞任しました。

「国がそれを必要としているのであれば、私はいかなる戦争でも還元しなければならない」と述べていたと言われています。

米西戦争のために海軍の整備に力を注ぎ、レナード・ウッド陸軍大佐の助けを借りて第一合衆国義勇騎兵隊を結成したのです。

これは新聞からラフ・ライダースと呼ばれていました。

大佐への昇進

ルーズベルトはもともと中佐として働くことになり、ウッド大佐のもとで働きました。

その後ウッドは義勇兵部隊の准将になり、ルーズベルトは大佐となったのです。

そしてルーズベルトは義勇兵部隊の指揮権を得ることになりました。

さらに危険な任務を遂行し、名誉勲章にノミネートされるにまで仕事をします。

しかし残念ながらこの名誉勲章の受賞は却下されてしまいました。

そして戦争が終わり、軍隊を離れた後はルーズベルト大佐と呼ばれるようになったのです。

ルーズベルトと言えばテディというあだ名が有名ですが、ルーズベルト自身はこのあだ名を好んでいなかったとも言われています。

日露戦争での尽力

もともと周りから慕われていたルーズベルトは大統領となり、その後日露戦争を強に導いたということでノーベル平和賞を受賞します。

日露戦争と言えば日本史の中でも有名ですが、1904年に始まり、1905年にポーツマス条約によって終わった戦争ですよね。

日本とロシアの戦争なのになぜ「ポーツマス」という名前が出てくるのか不思議に思った人もいるのではないでしょうか。

ポーツマスというのはアメリカの地名であり、この土地において条約の調印が行われたのです。

ルーズベルト大統領が日露戦争を終わらせたとも言えるのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ルーズベルトといえば日露戦争でよく知られている人物ですが、大統領になる前には米西戦争にも従軍し、アメリカの勝利に貢献しました。

軍人として極めて優秀な人物であったと言えるのです。

そしてその後大統領となり、アメリカという国をまとめていたのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする