米西戦争でプエルトリコはどうなったのか

米西戦争と言えば西部にまで領土拡大を成し遂げたアメリカ合衆国が海外の領土に興味を持ち始めた時に起こった戦争です。

そしてこの戦争はキューバの独立にも影響を与えているため、研究者の中には米西戦争を米西キューバ戦争と呼ぶ人もいます。

ちなみにキューバにおいては1946年に米西キューバ戦争が正式名称になりました。

この米西戦争ではプエルトリコがアメリカの領土になります。

ここでは米西戦争とプエルトリコについて解説します。

米西戦争の始まり

もともと米西戦争というのはフロリダの沖から見えるキューバという島にアメリカ人が関心を持ったことから始まりました。

フロンティアの拡大を基盤にカリフォルニアまで獲得し、48州を手にしたアメリカはフロリダから見えるキューバは自分たちのものであると考えるようになったのです。

そこでスペインとの戦争を意識するようになりました。

もともとマッキンリー大統領は米西戦争には関心を示していませんでしたが、ちょうどキューバのハバナ沖でアメリカの軍艦メインが爆発して沈没したことにより、スペインの策略だという声が高まってマッキンリー大統領は米西戦争を踏み切ったのです。

ハワイの併合

米西戦争をするためにはスペインが領土としている太平洋の島々のことも考えなければいけませんでした。

そしてこの島々にアメリカが船を送るためにはどこかで燃料補給しなければいけないと考えたのです。

そのために目をつけたのがハワイでした。

ハワイは位置的に太平洋上の島々に行くためにはちょうど良く、例えばフィリピンに行くための船はホノルルで燃料補給をするなど、効率よく利用することができました。

そのため、アメリカはハワイを正式に併合することにしたのです。

プエルトリコの占領

米西戦争においては、戦争が終結すると同時にアメリカが海外の領土を手に入れました。

プエルトリコはその中の1つになります。

アメリカはハワイを併合するのみならず、キューバ、プエルトリコを手に入れたのです。

もともとカリフォルニアまで掌握していたアメリカはとうとう海外の領土を手にすることになりました。

これまではマニフェストデスティニーを掲げて領土を広げていましたが、今度は海外進出を始めることになったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

アメリカにとって米西戦争はターニングポイントとなります。

それまで国内において領土拡大を行っていたアメリカは海外にも領土を持つようになり、国際的に力を持つようになるのです。

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