戦争が起こった後には講和条約が結ばれます。
1898年にアメリカとスペインが戦った米西戦争の講和条約はパリ条約というものでした。
パリ条約にはいろいろなものがあり、例えばアメリカ独立戦争が終わった後の講和条約もパリ条約といいます。
それならば米西戦争の講和条約であるパリ条約はどのような内容だったのでしょうか。
ここではパリ条約の内容について解説します。
目次
アメリカの地位を知らしめた
もともとアメリカ合衆国は1776年に独立したばかりの国でした。
その時は今のように50州あったわけではなく、13州しかない小さな植民地だったのです。
連邦政府の力が弱く、他の国の戦争などに巻き込まれたらあっという間に負けてしまうような状態でした。
だからこそ孤立主義という立場をとり、外交や政治に関わらないようにしていたのです。
しかしマニフェストデスティニーを掲げて西へ西へと領土を広げていたアメリカはカリフォルニアまで到達し、今度は太平洋に浮かぶスペインの植民地を手にすることになりました。
これによりアメリカはその影響力を太平洋にまで拡大することとなり、ヨーロッパで一挙に並ぶ地位を持つことになったのです。
さらに世界帝国として世界に君臨したスペインはその地位が崩落したのです。
パリ条約の内容
パリ条約において、主に3つのことが決められました。
まずキューバが独立します。
もともとキューバはアメリカに経済的な依存をしていましたが、この米西戦争によってキューバは独立することとなりました。
それからスペインが持っていた植民地であるフィリピン、グアム、プエルトリコがアメリカに割譲されました。
これによりアメリカは太平洋に領土を持つこととなったのです。
さらにフィリピンを活用するにあたり、アメリカはスペインに対して20,000,000ドルを支払うということが取り決められました。
キューバ反乱について
パリ条約によってアメリカはキューバの独立を認めましたが、キューバ反乱に伴って基本的に保護化された状態でした。
キューバ反乱というのは第二次キューバ独立戦争とも言われており、キューバ独立戦争と呼ばれる場合もあります。
1895年、キューバはスペインから独立するために戦争を始めました。
1898年にはアメリカが介入することとなり、これによって米西戦争が始まったのです。
これは4月に始まりましたが、12月には交戦が集結し、12月10日にパリ条約が締結されました。
つまりキューバがスペインに勝利したという形になったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
米西戦争によって結ばれたパリ条約により、アメリカは海外に土地を持つこととなりました。
マニフェストデスティニーによって陸地の中で領土を広げていたアメリカは今度は海外進出を実行していくこととなったのです。