アメリカ独立宣言にトマス・ジェファーソンが与えた影響とは

アメリカ独立宣言は1776年7月4日に出されたものですが、このアメリカ独立宣言には多くの人物が携わっています。

その人物の1人、そして後に第3代合衆国大統領となるトマス・ジェファーソンもこの独立宣言に関わった人物です。

それならばトマス・ジェファーソンは一体何をしたのでしょうか。

ここではトマス・ジェファーソンと独立宣言について解説します。

バージニア代議員の1人

トマス・ジェファーソンは非常に若かったにもかかわらず、1775年6月には第二回大陸会議のバージニア代議員の1人となりました。

そしてイギリス首相からやってきた提案に対する拒否など、様々な重要文書の起草を担当することになったのです。

さらに独立決議案に関する話し合いが始まった時、ジョン・アダムスやベンジャミン・フランクリンはトマス・ジェファーソンこそ文才があると考え、トマス・ジェファーソンを執筆者に選びました。

このため、ジェファーソンはバージニア憲法やバージニア権利章典などを参考にしてアメリカ独立宣言の初稿を書いたのです。

なお、このときの初稿は6月11日から書き始められていました。

大陸会議での採択

6月11日からトマス・ジェファーソンが書き始めた走行は委員会によって修正され、最終版は6月28日に大陸会議に提出されました。

7月2日に全会一致で可決され、その2日後の7月4日に発表されたのです。

このとき、黒人を解放するという旨を書いていた記述が削除されました。

黒人奴隷はイギリスの国王による非道な行いであり、この奴隷たちを解放するという記述があったのですが、大陸会議は奴隷貿易に前向きな州があるということを理由にこの記述を削除したのです。

トマス・ジェファーソンはそれに対して不満を見せていましたが、削除された状態でアメリカ独立宣言が承認されました。

これは結果としてトマス・ジェファーソンの名声を上げるものになったと言われています。

フランス人権宣言にも大きな影響

アメリカ独立宣言が出されたのは1776年7月4日の事ですが、その後1789年8月26日にはフランスにおいてフランス人権宣言が出されました。

正式名称は人間と市民の権利の宣言であり、これもイギリスの思想家ジョン・ロックの考え方を強く引き継いだものとなっています。

そしてこのフランス人権宣言もアメリカ独立宣言の影響受けており、内容は非常に似ているといえます。

ただし、アメリカ独立宣言は人民という言葉を多く使っている一方でフランス人権宣言は市民という言葉が使われています。

まとめ

いかがでしょうか。

トマス・ジェファーソンは第3代合衆国大統領としてアメリカをまとめていきますが、実はアメリカがアメリカ合衆国として独立する前からアメリカの歴史に大きな影響を与えていた人物なのです。

そして長い目で見るとフランスにも影響を与えていると言えるのです。

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