南北戦争と西部開拓には切っても切れない関係があります。
西部開拓というともともとは13州しかなかったアメリカが西へ西へと領土を広げ、その領土を拡大していくということを思い浮かべる人もいるかもしれませんね。
そこから南北戦争とは何の関係もないのではないかと思う人もいるかもしれません。
しかし実は南北戦争と西部開拓には大きな関係があります。
ここではその関係性について紹介します。
自由州と奴隷州の対立
もともと南北戦争というのはアメリカ北部の自由州とアメリカ南部の奴隷州が対立したことによって起こったものでした。
アメリカの南部は綿花プランテーションです経済を成り立たせており、奴隷制の存続を求めていました。
そして綿花を自由に海外に輸出するために自由貿易を求めていたのです。
それに対してアメリカの北部は商工業で成り立っており、奴隷制は既に必要ではありませんでした。
当時は産業革命を経験したイギリスから質の高い製品が送られてくることを懸念し、保護貿易を求めていたのです。
このような経済構造の違いが2つの地域に対立を起こし、アメリカ南部はアメリカ連合国として独立しようとしていました。
それを防ぐためにアメリカの南北戦争が起こったのです。
奴隷州と自由州の数について
1803年、第3代大統領トマスジェファーソンの時代にアメリカはルイジアナをフランスから購入しました。
当時のフランスはナポレオン戦争の真っ只中であり、財政的にはとても厳しい時代だったのです。
そしてアメリカはルイジアナを購入したことにより、その領土を倍に広げることが可能となりました。
また、メキシコとの戦争によってテキサスやカリフォルニアを手に入れ、アメリカの領土は倍以上に広がっていきます。
そして奴隷州と自由州の数を均等に保つことにより、明日が取れた状態を維持しようということになりました。
これ以降に増えてくる場所に関しては連邦議会が決定権を行使するということになったのです。
ミズーリ協定への道
1819年まで、奴隷州と自由州がそれぞれ11ずつという数を保っていました。
ここにルイジアナ州の北部にあるミズーリが州への昇格を求めたため、バランスが取れなくなるという問題が起こったのです。
北部が自由州となり、商工業の発達によって人口を増やしていったのに従い、南部はプランテーションによる農業があまりうまくいかず、北部の経済に依存しなければならないという状態が起こりました。
そしてもしも奴隷制が廃止となってしまった場合、自分たちの基盤が失われるという危機感を高めた南部の奴隷主たちが奴隷州の数を増やそうと考え始めたのです。
これによって南北戦争が始まっていきます。
まとめ
いかがでしょうか。
西部開拓は特に奴隷州にとって大きな問題となりました。
南部にとっては奴隷制を容認する州を増やすことが大切であり、それによって戦争への道を突き進んでいくのです。