経済がいきなり悪化してしまう状況を京子と呼びますが、それが世界的に起こったら世界恐慌となります。
特に1929年にニューヨークで起こった世界恐慌は世界大恐慌とも言われており、アメリカのみならず他の国に大きな影響を与えました。
それならばこの世界大恐慌はイギリスやイタリアにどのような影響を与えたのでしょうか。
ここでは世界大恐慌がイギリスやイタリアに与えた影響について解説します。
イギリスの動向
世界大恐慌が起こったとき、その煽りを受けてシティ・オブ・ロンドンの債権の価値が急激に下がってしまいました。
人々は預金を引き下ろすために銀行に殺到して、特にイングランド銀行は大根なんとなってしまったのです。
ここにポンドの安定とこの地区の権威を揺さぶる2つの報告書が出されました。
その1つがマクミラン報告というものです。
スコットランド出身の元裁判官であるマクミランが中心となり、アメリカの経済を調査した上で報告書を作成しました。
そしてこの地区の資本が国内ではなく海外投資に傾いていたということを発見し、糾弾したのです。
もう一つはメイ報告書と呼びます。
ジョージ・メイという人物が中心となり、財政を立て直すための報告書が出来上がりました。
このようにしてイギリスは経済を回復させようとしていたのです。
イタリアでの動向
第一次世界大戦が終わってから経済混乱に陥ってしまっていたイタリアにおいては世界大恐慌が起こる前から経済状況が悪化していました。
そのため世界大恐慌が起こってもほとんど影響はなかったと言われています。
もともと経済状況が悪かったために、株価大暴落と聞いてもイタリア人は驚くことがなく、今まで通りの生活をしていました。
もともとイタリアは1861年に統一されたばかりであり、ムッソリーニのファシスト党の一党独裁が始まってからは共産主義者のほとんどが国外逃亡を認め、ストライキによる鉄道建設の遅延も解消され、むしろ調子が良かったといえます。
ドイツの動向
ドイツにどのような影響があったかということに関しても説明しましょう。
もともと第一次世界大戦に敗北して、ヴェルサイユ条約によってドイツは巨額の賠償金を支払わなければいけない状態でした。
しかしアメリカが加わったことにより賠償金を円滑に支払うことが可能となり、ドイツ経済は回復しつつあったのです。そんな時に世界大恐慌が起こってしまったため、ドイツ経済は深刻な打撃を受けました。
経済は一気にどん底に突き落とされ、失業率は40パーセントを超えたのです。
これによって国家社会主義ドイツ労働者党、つまりナチスが躍進することとなりました。
1933年、大統領はヒトラーを首相に任命し、ヒトラーがドイツ国内の権力を握るようになっていたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
世界大恐慌はイギリスやイタリアのみならず、多くの国々に影響与えました。
世界大恐慌自体は第一次世界大戦の影響を受けていますが、この世界大恐慌自体も第二次世界大戦に影響を与えるようになるのです。