イラク戦争と言えば、2003年3月20日に始まって5月10日にはブッシュ大統領が勝利宣言をしたという極めて短い戦争です。
2001年に起こった同時多発テロの報復のような戦争だったと記憶している人もいるかも知れませんね。
それならば、イラク戦争はこのような流れで、そしてそしてどのような内容の戦争だったのでしょうか。
ここではイラク戦争の流れや内容について解説します。
大量破壊兵器を見つけ出すための戦争
もともとイラク戦争の大義名分は同時多発テロの報復ではありません。
テロを支援しているフセイン大統領を打倒しようと考えたアメリカは、湾岸戦争の結果、イラクが大量破壊兵器に関する国連の査察を拒否しているという事実に目をつけました。
そこでイラクが大量破壊兵器保持における進展義務違反を利用し、イラク戦争を始めたのです。
しかし、この戦争はもともと国際社会から強い批判を浴びていました。
国連はこれに関して反対し、中国やロシア、ヨーロッパ諸国もこの戦争には反対していたのです。
日本の総理大臣、小泉純一郎はこの戦争に関し、早い頃から支持する姿勢を見せていました。
これが戦争が始まる流れになります。
大量破壊兵器の捜索
イラク戦争の内容は基本的には大量破壊兵器の捜索でした。
しかし実際には大々的な創作にもかかわらず大量破壊兵器は全然見つからなかったのです。
そして最終的に2004年10月には調査団が「には大量破壊兵器は存在しない」という最終報告書を提出しました。
また、イラクは確かに国連の大量破壊兵器の査察を拒否していましたが、それはあくまでも大量破壊兵器を持っているように見せかけるだけであり、イランなどの反政府勢力を牽制しようとしていたから、と結論付けられています。
つまり、査察を拒否したからという理由で大量破壊兵器を持っていると考えたアメリカはイラクに完全にはめられた状態になるのです。
フセイン政権の打倒
しかし、当然ながらだからといってアメリカが「大量破壊兵器は見つかりませんでした」「自分たちが間違っていました」などと引き下がるわけにはいきません。
そのためアメリカはイラク戦争の内容をフセイン政権打倒のためだとしたのです。
つまり、イラク戦争の内容がフセイン政権を倒すためであったとすることにより、イラク戦争は成功だったということが可能になるのです。
大量破壊兵器が見つからないとなってから、アメリカはフセインを倒そうと考えました。
これによってイラク戦争の流れが変わっていくのです。
最終的にフセイン大統領は逮捕され、後に死刑となりました。
このようにしてアメリカにとってのイラク戦争は成功裏に終わったのです。
まとめ
いかがでしょうか。
これがイラク戦争の内容であり、流れになります。
その流れや内容は途中で変わっているということを留意しておきましょう。