イラク戦争におけるフランスとアメリカの関係について

イラク戦争というのは海外からも批判された戦争でした。

もともと反対されていたということもありますが、アメリカはその反対を押しきって戦争に踏み切ったのです。

イラク戦争に関しては国連も乗り気ではありませんでしたね。

それならばイラク戦争に関してフランスとアメリカはどのような関係を築いていたのでしょうか。

ここではイラク戦争におけるフランスとアメリカについて解説します。

イラク戦争の建前

2001年9月11日に同時多発テロを経験し、アメリカはアルカイダを率いるオサマ・ビンラデンを捕まえるためにアフガン報復を行いました。

そして対テロ戦争の一環として、テロを支援しているフセインを打倒するため、イラク戦争を考えたのです。

しかしいくらアメリカであってもこのような理由でイラクに戦争を仕掛けるわけにはいきません。

そのためにアメリカは大量破壊兵器がイラク国内にあるからということを利用しました。

1990年の湾岸戦争においてイラクは大量破壊兵器を放棄するということを決めていましたが、その後の査察を拒否し続けていたのです。

そこにアメリカは目をつけ、イラクには大量破壊兵器があるからそれを防がなければいけない、という建前でイラク戦争を始めました。

海外から反対された戦争

しかし、イラクに大量破壊兵器があるという可能性だけでイラク戦争を始めるということに関しては多くの国から反対を受けました。

例えばそれもいうならば、イスラエルや北朝鮮にも大量破壊兵器がありますよね。

そのような国は攻撃しないにもかかわらず、イラクだけを攻撃するのは一体何故なのでしょうか。

このように海外からは反発を受け、アメリカはイラク戦争するべきではないと言われ続けてきたのです。 しかしアメリカはその反対を無視してイラク戦争を始める形となりました。

そしてそのアメリカに反対し続けた国がフランスだったのです。

フレンチフライの名前が変わる!?

イラク戦争のが起こったときのアメリカとフランスの国際関係においては、フライドポテトの名前が変わったということが有名です。

フライドポテトは英語でフレンチフライといいますよね。

もともとフライドポテトはベルギー発祥ですが、アメリカ人がフランスから来たと勘違いしたことによってフレンチフライというようになったと言われています。

しかしアメリカ人も大好きなフレンチフライですが、フランスがイラク戦争に反対した、つまりフランスがアメリカの政策に反対した、ということでフレンチフライという呼び方を変えようという動きが起こりました。

そこでイラク戦争が起こっている間、フレンチフライはフリーダムフライと言い換えられていたのです。

まとめ

いかがでしょうか。

アメリカとフランスは普段は良い国際関係を築いている国家ですが、イラク戦争が起こったときに関しては別でした。

フランスはアメリカに反対し続けていたのです。

なお、カナダもアメリカに反対し続けていたため、イラク戦争が起こったときはカナダから国境を越えてアメリカに渡ったカナダ人がカナダに戻れない、という状態が起こることもありました。